FuD 2005.04. 花見

 日曜のアパートの駐車場は、クルマがほとんど止まっていなかった。建物の中にも人気はあまり感じられなかった。友人は、彼のアパートの前でクルマを止めて、クラクションを、二度、長めに鳴らした。すると、彼が2階の部屋の窓辺に姿を見せ、すぐに降りるよと手で大きく○のポーズをした。 毎年、川沿いの堤防にある桜並木で、花見をしている友人が彼を誘ったのだった。当初、彼は、月曜の前に飲み過ぎるのを嫌って友人の誘いを渋っていたのだが、
「昼過ぎから始めようと思ってるんだ。去年は、日が暮れかけた頃に片付けを始めて、
全部クルマにしまい込んだときがちょうど日没。時計をみたら6時だったよ。今年もそんなに遅くはならないから、飲んでも月曜には響かないよ。」と説得されたたのだった。
 彼が、助手席に乗り込むと、クルマはゆっくりと走りだした。窓を開けたままの車内には、爽やかで温かな風が入り込んでくる。前日に降った春らしい柔らかい雨のせいで、街はみずみずしく匂い立っていた。クルマは住宅街の一方通行の道を抜けて、川沿いの大通りに出た。
「ビール風アルコール飲料って知ってるか?」友人は、春の心地よさを満喫するかのようにゆっくりとクルマを走らせながら彼に言った。
「第のビールっていうアレかな?」
「そうそう、それだよ。ビールでも発泡酒でもないってヤツ。」
「大豆とかえんどう豆を原料に使ってるそうだけど、味もだいぶ違うのかな。」と彼が聞くと、
「飲んだことないだろ。そう思って今日持ってきたんだ。1125円くらいで安いから、どっさりとね。」
友人は、いつものように彼に適当な酒を用意してくれていた。彼は、度数の強い酒を
あまり飲み過ぎないようにと配慮してくれる友人の気持ちに感謝しつつ、まだ試したことのない新しいビールに好奇心を覚えた。
 クルマは満開の桜がこんもりと連なる堤防の下まで来て、芝生の手前で止まった。芝生
は、堤防の桜の影になって雨で少し柔らかくなったままだった。歩くたびにぴちゃぴちゃと軽い音を立てた。堤防へ続く石段を何段か上がると、堤防の向こうにうっすらと霞のかかった水色の空が見えはじめ、日に照らされた桜が白くまぶしく光っていた。薄紅色の並木を通して、人々の叫び声や笑い声がきれぎれに聞こえてきた。休日の、川沿いの長い堤には、人の気配が溢れていた。階段を上り切ったところで、二人は、「おー」と思わず声をあげた。枝が見えなくなるほど綿菓子のように花を付けた桜が連なって、アーケードのようになっている。高い位置から見渡す川は太陽の光をきらきらと反射し、木々からは、桜の花びらが白と紅を反転させながらちらちら舞い落ちてくる。花に覆われてほんのり薄紅色に染まった木々の下には、人々が色とりどりのシートを広げている。のんびりと座る家族、はしゃいで宴会する学生たち、一人でカップ酒をすする老人、小さな買い物袋を提げて楽しげに歩くカップル。彼と友人は、それらの人の中に溶け込みながら、適当な場所を探して歩いた。低い位置まで伸びた枝に肩がふれるたびに甘酸っぱい花の匂いがこぼれた。
「あそこにしよう」堤防の一点を指差しながら、友人が言った。シートを広げ座ると、風はふわふわとそよぎ、柔らかな日差しが心地よい。今年の冬は雪こそ少なかったが、例年になく寒さが尾をひいた年だった。彼はようやくの春の訪れを感じようと空を仰いだ。友人がクーラーボックスからビールを取り出した。ドラフトワン、スーパーブルー、各メーカーのものが揃えてあった。二人は、缶と缶を触れ合わせるように、軽く乾杯した。えんどう豆のビールがどういうものか、彼は、興味を持って吟味するように一口目を口にした。それから、喉越しと後味をゆっくりと感じながら、一言つぶやいた。「それほど悪くないね。」まろやかで、コクと旨味も意外としっかり付いている。普通のビールよりやや物足りない薄い印象だが、麦芽を全然使ってないとは思えなかった。
「値段の差を考えれば、納得できる味わいかな。」
友人はそう言って、缶をシートの上に置いた。
「値段の違いは、税金の違いなんだ。日本のビールの税制っておかしいよね」と腕組みをしつつ、語りはじめた。
「ビールの酒税はアルコール度数ではなく、麦芽含有量によって決まっていてね、ビールはレギュラー缶350ml当たり7770銭、発泡酒(麦芽25%未満)は4699銭、そしてビール風アルコール飲料はその他雑酒という分類で350ml当たり2420銭と定められているんだ。こんなのアリ?って感じだろ」
「だから日本では、わざわざ麦芽以外のものを使っていろんなビールを作ってるのか。」と彼が相づち打つと、
「将来はビールの安い国に住みたいよね」と友人は冗談めかして言いながら続けた。
「でもなぁ〜、日本にはなんといっても世界に誇る醸造酒、日本酒があるからなぁ〜、こればっかりは捨てがたいよな。」と言って、友人は1本の日本酒を取り出した。桜の花びらをあしらった包装紙には、『常山』と書いてある。『じょうざん』と読むそうだ。
「ここの社長さん、日本酒の旬っていうのを大事にしているんだ。この『常山 春の霞酒』も、搾りのこの季節にしか味わえない旬の酒なんだぞ」
プラカップに注ぐと、春の空と桜の淡い紅色が混ざり合ったような、うっすらと白濁した薄いにごり酒だった。新酒らしい爽やかでキレのよい飲み口、舞い落ちる桜の下で、『常山 春の霞酒』の甘い香りがふわりと漂った。ふと、彼は、いくつもある花のなかで、桜だけが酒を飲みたくなる花ということにひとつの神話を思い浮かべた。昔、桜の開花は山の神の、里への降臨のしるしで、人々は里を訪れた神を祭り、海の幸、山の幸を奉納し、酒を酌み交わし、その年の豊穣を祈ったそうだ。素朴な祈りが今も息づいているのだ。ビールは高いが、日本には世界に誇る日本酒の文化と、脈脈と伝え守られた風習があるんだなぁ〜。やっぱり日本でいいかと思いつつ桜を眺めながら、杯を重ねた。
 
日が暮れ始め、冷たい風がそよぎ始めた。彼の杯にひとひらの花びらが舞い落ちた。彼は思わず杯の手をとめて見入っていた。その彼をみて、友人は、「一年の酒は花見からだよな」と肩を叩いた。